俺の妹がこんなに可愛いわけがない (12) (電撃文庫)
2013年7月7日 読書
俺妹も最終巻発売から一月。
遅ればせながらレビューしてみます。
※アニメオンリーの人にはネタバレになるので注意してください。
まず最初に言っておくと私はこの終わらせ方には肯定的です。
アマゾンでは1月で500件を超える膨大なレビューが付き、賛否ははっきり別れています。
それだけ期待が大きい作品だったということでしょうし私も楽しみにしていました。
さてはてその内容ですが桐乃エンドです。なんと実の妹。
京介は桐乃と彼氏彼女の関係になりますが、その過程で他のヒロインを容赦なく振りまくるシーンは衝撃的でした。
特にデスティニーレコードをビリビリに破く黒猫には胸を打たれるものがあります。
恋愛advなら各キャラにルートが存在し、全てのキャラとの幸せな結末を用意できますがこの作品はあくまでライトノベルです。
なので結ばれるヒロインは一人。ハーレム展開にきちんと決着をつけ、他のヒロインとの関係を曖昧にせず書ききった作者は素晴らしいと感じます。
ただ、実を言うと最初読み終わったときの感想は「え、本当にこれで終わりでいいの?」というすっきりしないものでした。
各キャラにフラグを立てまくって上でなんとなく決定してしまう恋愛advのようなルートの進め方だと感じました。
この作品に対する不満を持っている人は大きく分けて2パターンあると考えています。
1.自分のお気に入りのキャラが不幸になるのが見ていられない
2.桐乃エンドなのはいいが、その理由が不明瞭なのが納得いかない
の2つです。
------
・キャラクターへの愛と近親愛の倫理
1つ目に関して。
これはこの作品がライトノベルである(=1パターンのエンドしかない)以上どうしようもないことです。
ハーレム物ライトノベルでは一人でも好きなキャラクターを読者に作ってくれるように仕向けることにより、多くの読者層を取り込もうとします。
読者は好きなキャラクターが一人出来れば1冊の本を買ってくれます。
俺妹で言うならば黒猫は好きだが他のキャラクターはどうでもいい読者Aとあやせは好きだが他はどうでもいい読者Bがいればそこで2冊の本が売れることになります。
ここでAとBそれぞれが全ての登場人物を好む必要はありません。キャラの抱き合わせ販売とも言えます。
ただしこのやり方は物語にケリをつけるときに代償を払わされることになります。
特定のキャラが報われれば他の全てのキャラは報われなくなるからです。もちろん報われなかったキャラのファンはいい思いはしないでしょう。
これを避けるには誰とのエンドも選ばず誰も傷つけない有耶無耶エンドしかありませんが、昨今それは支持されにくくなっているという事情があります。
アマゾンの「このレビューが参考になった」投票をよく見ていると、この特定キャラへの思い入れから不評をつける読者が案外多くて残念ですが・・・。
またヒロイン桐乃が実の妹であるという点は悪い評価に拍車をかけているでしょう。
これは物語の展開云々というものではなく実社会における倫理的な問題です。
作品中でも桐乃によって語られていますが、エロゲーの多くの妹キャラが義妹であると設定がされるのは例えフィクションであってもプレイヤーに心理的抵抗が大きいからです。
義妹という現実的にありえなくはないが限りなく自分の属する社会には関係無いという便利な設定を逃げ道としているのが妹モノの落としどころです。”自分と無関係な現実”とでも言いましょうか。
義妹設定では「義理の妹ならまあいいか、一応妹ではないし」という、自分と距離を感じつつも可能性としてはそれを認めるという土台が読者にできています。
ライトノベルでの主人公に複数の女の子が好意を持つ所謂ハーレム設定も同じように読者が”自分と無関係な現実”として認識できているから受け入れられていると考えられます。
-----
・語り手たる主人公は真実を紡ぐか
私が特に興味あるのは2つ目のパターンです。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」をキャラクターへの思い入れからではなく、作品として好きな人たちの批判だと思います。
この特定キャラへの思い入れというよりは作品全体として楽しんでいるので彼らの意見には賛同できます。
私も読み進めながら京介は一体いつから妹を女として好きになったの?ということを考えました。
俺妹ではこの巻までに桐乃を恋愛対象として見ている京介の描写が思いあたりません。だから「桐乃はあくまで妹として好きだったんじゃないの?」というツッコミを入れたくなります。
しかし実際に京介は桐乃は恋愛対象として桐乃に告白をしています。
じゃあ一体どういうことだよ?今まで語り手としての京介は何を語ってきたんだ?となるのは普通のこと。
これに関しては終盤にて以下のような記述があります。
ところで物語の語り部ってのは、読者よりもちょっとだけ察しが悪いくらいが良いさじ加減なんだってよ。クソ喰らえだね。悪いけど、俺、それはもうやめたから。(12巻、p.236~237)
はっきりと語り部としての自分について言及していますね。
このスタンスを受け入れられるかが作品としての俺妹を支持できるかに直結していると考えます。
私はこれはこれでありだと思えるようになったのであまり気になりませんが、そうは思わない読者だっているでしょう。
特に俺妹は現実世界のオタク問題を取りあげ、それを部外者(=非オタク)としての観測者である京介が語ることによって、正面から向き合うという始まりだったので尚更その傾向が強いと思います。
-----
ここからは私個人の解釈を。あくまで想像ですよ。
「京介は本心から桐乃を好きなのではなく、世話焼き主人公として好きになっている。しかし語り手としての京介はそれを読者には伝えない。」
というのが私の結論です。
俺妹では他のラノベ主人公の例に漏れずお節介な奴です。
妹のエロゲーを自分のものだと言って庇ったり、特に親しくもない不登校児を学校に連れてこさせようとしたりとやたらと熱血漢です。
それに加えて順応力があります。
非オタクだったわりには抵抗なく妹からエロゲーをプレイしたり、黒猫らオタクコミュニティに溶け込み関係を築いていくコミュ力が備わっています。
そんな曲がったことが嫌いだが、その上で周囲の関係を上手くまとめる京介が俺妹の魅力だったと思います。
最終巻のもやもや感は京介の魅力である「周囲の関係を上手くまとめる能力」がかけてしまい、独善的な面だけが強調されていたことが原因です。
妹を恋愛対象として見るのは、いくらラノベ的世界観であってもタブーです。
それば桐乃と同じくブラコンである瀬菜が、桐乃から京介と付き合っているという事実を受けての台詞からわかります。
「(前略)どうしたら一番いいのかなんて、私にはわかりませんけれど……『おめでとう』とも言えませんけれど……応援、してますから」(12巻、p326~327)
幼き日の桐乃の思いを吹き込んだipodをシーンがありますが、京介は桐乃の思いに気が付いていたと思います。
ところがそんな桐乃の好きだった京介は11巻のエピソードを境に姿を消し、兄弟冷戦時代へと突入します。
俺妹は冷戦時代が解けカッコ良かった昔の京介を徐々に取り戻していく様を描いた話なので、その間に桐乃が京介への好意を持つのは当然の成り行きとも言えます。
「大きくなったらお兄ちゃんを結婚する」という子供なら許されるような発言も年を重ねるにつれ言いにくくなっていきます。
普通の兄妹であれば緩やかにそれを理解していきますが、桐乃は麻奈美がいきなり現実を叩き付けたこと、京介がある日を境に腑抜けた存在になったことにが原因で、身内を愛することのマズさを理解する暇を与えられずここまで来てしまいました。
京介はそのことに責任を感じ、桐乃の兄離れを自分が犠牲になること(=マズい兄妹間での恋愛を成立させる)で事態をきちんと桐乃に理解させようとします。
桐乃の気持ちに気づきながらもあえて自分から桐乃に告白し、桐乃を傷つけない方法で良い方向で導いてやったのではないかと。
それが嘘偽りでないことを自らにもきちんと認識させるために他ヒロインをガンガン振りまくります。
今の京介はスーパー京介なので、自分の気持ちを騙すことぐらいお手のものなのです。例え恋愛感情であっても。
つまるところ、お節介な主人公が不幸な事故の重なり(桐乃と麻奈美の接触、秋美の転校)によって後味の悪い結果に誘導されてしまったというのが、この物語へのもやもや感を生み出している。
これが私なりの結論でございます。
遅ればせながらレビューしてみます。
※アニメオンリーの人にはネタバレになるので注意してください。
まず最初に言っておくと私はこの終わらせ方には肯定的です。
アマゾンでは1月で500件を超える膨大なレビューが付き、賛否ははっきり別れています。
それだけ期待が大きい作品だったということでしょうし私も楽しみにしていました。
さてはてその内容ですが桐乃エンドです。なんと実の妹。
京介は桐乃と彼氏彼女の関係になりますが、その過程で他のヒロインを容赦なく振りまくるシーンは衝撃的でした。
特にデスティニーレコードをビリビリに破く黒猫には胸を打たれるものがあります。
恋愛advなら各キャラにルートが存在し、全てのキャラとの幸せな結末を用意できますがこの作品はあくまでライトノベルです。
なので結ばれるヒロインは一人。ハーレム展開にきちんと決着をつけ、他のヒロインとの関係を曖昧にせず書ききった作者は素晴らしいと感じます。
ただ、実を言うと最初読み終わったときの感想は「え、本当にこれで終わりでいいの?」というすっきりしないものでした。
各キャラにフラグを立てまくって上でなんとなく決定してしまう恋愛advのようなルートの進め方だと感じました。
この作品に対する不満を持っている人は大きく分けて2パターンあると考えています。
1.自分のお気に入りのキャラが不幸になるのが見ていられない
2.桐乃エンドなのはいいが、その理由が不明瞭なのが納得いかない
の2つです。
------
・キャラクターへの愛と近親愛の倫理
1つ目に関して。
これはこの作品がライトノベルである(=1パターンのエンドしかない)以上どうしようもないことです。
ハーレム物ライトノベルでは一人でも好きなキャラクターを読者に作ってくれるように仕向けることにより、多くの読者層を取り込もうとします。
読者は好きなキャラクターが一人出来れば1冊の本を買ってくれます。
俺妹で言うならば黒猫は好きだが他のキャラクターはどうでもいい読者Aとあやせは好きだが他はどうでもいい読者Bがいればそこで2冊の本が売れることになります。
ここでAとBそれぞれが全ての登場人物を好む必要はありません。キャラの抱き合わせ販売とも言えます。
ただしこのやり方は物語にケリをつけるときに代償を払わされることになります。
特定のキャラが報われれば他の全てのキャラは報われなくなるからです。もちろん報われなかったキャラのファンはいい思いはしないでしょう。
これを避けるには誰とのエンドも選ばず誰も傷つけない有耶無耶エンドしかありませんが、昨今それは支持されにくくなっているという事情があります。
アマゾンの「このレビューが参考になった」投票をよく見ていると、この特定キャラへの思い入れから不評をつける読者が案外多くて残念ですが・・・。
またヒロイン桐乃が実の妹であるという点は悪い評価に拍車をかけているでしょう。
これは物語の展開云々というものではなく実社会における倫理的な問題です。
作品中でも桐乃によって語られていますが、エロゲーの多くの妹キャラが義妹であると設定がされるのは例えフィクションであってもプレイヤーに心理的抵抗が大きいからです。
義妹という現実的にありえなくはないが限りなく自分の属する社会には関係無いという便利な設定を逃げ道としているのが妹モノの落としどころです。”自分と無関係な現実”とでも言いましょうか。
義妹設定では「義理の妹ならまあいいか、一応妹ではないし」という、自分と距離を感じつつも可能性としてはそれを認めるという土台が読者にできています。
ライトノベルでの主人公に複数の女の子が好意を持つ所謂ハーレム設定も同じように読者が”自分と無関係な現実”として認識できているから受け入れられていると考えられます。
-----
・語り手たる主人公は真実を紡ぐか
私が特に興味あるのは2つ目のパターンです。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」をキャラクターへの思い入れからではなく、作品として好きな人たちの批判だと思います。
この特定キャラへの思い入れというよりは作品全体として楽しんでいるので彼らの意見には賛同できます。
私も読み進めながら京介は一体いつから妹を女として好きになったの?ということを考えました。
俺妹ではこの巻までに桐乃を恋愛対象として見ている京介の描写が思いあたりません。だから「桐乃はあくまで妹として好きだったんじゃないの?」というツッコミを入れたくなります。
しかし実際に京介は桐乃は恋愛対象として桐乃に告白をしています。
じゃあ一体どういうことだよ?今まで語り手としての京介は何を語ってきたんだ?となるのは普通のこと。
これに関しては終盤にて以下のような記述があります。
ところで物語の語り部ってのは、読者よりもちょっとだけ察しが悪いくらいが良いさじ加減なんだってよ。クソ喰らえだね。悪いけど、俺、それはもうやめたから。(12巻、p.236~237)
はっきりと語り部としての自分について言及していますね。
このスタンスを受け入れられるかが作品としての俺妹を支持できるかに直結していると考えます。
私はこれはこれでありだと思えるようになったのであまり気になりませんが、そうは思わない読者だっているでしょう。
特に俺妹は現実世界のオタク問題を取りあげ、それを部外者(=非オタク)としての観測者である京介が語ることによって、正面から向き合うという始まりだったので尚更その傾向が強いと思います。
-----
ここからは私個人の解釈を。あくまで想像ですよ。
「京介は本心から桐乃を好きなのではなく、世話焼き主人公として好きになっている。しかし語り手としての京介はそれを読者には伝えない。」
というのが私の結論です。
俺妹では他のラノベ主人公の例に漏れずお節介な奴です。
妹のエロゲーを自分のものだと言って庇ったり、特に親しくもない不登校児を学校に連れてこさせようとしたりとやたらと熱血漢です。
それに加えて順応力があります。
非オタクだったわりには抵抗なく妹からエロゲーをプレイしたり、黒猫らオタクコミュニティに溶け込み関係を築いていくコミュ力が備わっています。
そんな曲がったことが嫌いだが、その上で周囲の関係を上手くまとめる京介が俺妹の魅力だったと思います。
最終巻のもやもや感は京介の魅力である「周囲の関係を上手くまとめる能力」がかけてしまい、独善的な面だけが強調されていたことが原因です。
妹を恋愛対象として見るのは、いくらラノベ的世界観であってもタブーです。
それば桐乃と同じくブラコンである瀬菜が、桐乃から京介と付き合っているという事実を受けての台詞からわかります。
「(前略)どうしたら一番いいのかなんて、私にはわかりませんけれど……『おめでとう』とも言えませんけれど……応援、してますから」(12巻、p326~327)
幼き日の桐乃の思いを吹き込んだipodをシーンがありますが、京介は桐乃の思いに気が付いていたと思います。
ところがそんな桐乃の好きだった京介は11巻のエピソードを境に姿を消し、兄弟冷戦時代へと突入します。
俺妹は冷戦時代が解けカッコ良かった昔の京介を徐々に取り戻していく様を描いた話なので、その間に桐乃が京介への好意を持つのは当然の成り行きとも言えます。
「大きくなったらお兄ちゃんを結婚する」という子供なら許されるような発言も年を重ねるにつれ言いにくくなっていきます。
普通の兄妹であれば緩やかにそれを理解していきますが、桐乃は麻奈美がいきなり現実を叩き付けたこと、京介がある日を境に腑抜けた存在になったことにが原因で、身内を愛することのマズさを理解する暇を与えられずここまで来てしまいました。
京介はそのことに責任を感じ、桐乃の兄離れを自分が犠牲になること(=マズい兄妹間での恋愛を成立させる)で事態をきちんと桐乃に理解させようとします。
桐乃の気持ちに気づきながらもあえて自分から桐乃に告白し、桐乃を傷つけない方法で良い方向で導いてやったのではないかと。
それが嘘偽りでないことを自らにもきちんと認識させるために他ヒロインをガンガン振りまくります。
今の京介はスーパー京介なので、自分の気持ちを騙すことぐらいお手のものなのです。例え恋愛感情であっても。
つまるところ、お節介な主人公が不幸な事故の重なり(桐乃と麻奈美の接触、秋美の転校)によって後味の悪い結果に誘導されてしまったというのが、この物語へのもやもや感を生み出している。
これが私なりの結論でございます。
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