ちょいとばかし前からホールデムポーカーにハマってます。

ポーカーというと運ゲーっぽいイメージがあると思われますが、実際には実力半分、運半分の世界。勝てる人はポーカートーナメントの賞金やリングゲーム(カジノで席さえあれば自由なタイミングでプレイできるゲーム)での勝ち分で飯食ってる人もいます。
わりとマジックと似てますねw

さておき本書はテキサスホールデムポーカーの大会で著者ガスハンセン(ポーカープロでマジックで言うとプロツアー殿堂入りクラスの強豪)が優勝するまでの道のりを事細かに記載したレポート。
自分に配られたハンドや心理状態、相手との駆け引きがリアルに載っており臨場感抜群の内容です。
元は「Every hand revealed」という洋書なのですが、緊迫感がひしひしと伝わってくる翻訳が素晴らしく、まるで自分がトーナメントの中にいるかのような感覚に引きずり込まれます。

プロが手の内を全て明かすという点で、数あるポーカー戦略本の中でも貴重な情報がたくさん詰まっています。
別にポーカーに限らず理論だけ並べられても実践イメージが無いと中々頭に入ってこないものですが、これはまさに実体験そのものですんなり読めます。500ページの量もあっという間に読めました。

ポーカーのルールがわかる人には是非とも読んでもらいたい。

マジックでもこういう本出ないかな?タイトルはEvery pick revealedで。
俺妹も最終巻発売から一月。
遅ればせながらレビューしてみます。

※アニメオンリーの人にはネタバレになるので注意してください。














まず最初に言っておくと私はこの終わらせ方には肯定的です。

アマゾンでは1月で500件を超える膨大なレビューが付き、賛否ははっきり別れています。
それだけ期待が大きい作品だったということでしょうし私も楽しみにしていました。

さてはてその内容ですが桐乃エンドです。なんと実の妹。
京介は桐乃と彼氏彼女の関係になりますが、その過程で他のヒロインを容赦なく振りまくるシーンは衝撃的でした。
特にデスティニーレコードをビリビリに破く黒猫には胸を打たれるものがあります。

恋愛advなら各キャラにルートが存在し、全てのキャラとの幸せな結末を用意できますがこの作品はあくまでライトノベルです。
なので結ばれるヒロインは一人。ハーレム展開にきちんと決着をつけ、他のヒロインとの関係を曖昧にせず書ききった作者は素晴らしいと感じます。

ただ、実を言うと最初読み終わったときの感想は「え、本当にこれで終わりでいいの?」というすっきりしないものでした。
各キャラにフラグを立てまくって上でなんとなく決定してしまう恋愛advのようなルートの進め方だと感じました。

この作品に対する不満を持っている人は大きく分けて2パターンあると考えています。


1.自分のお気に入りのキャラが不幸になるのが見ていられない
2.桐乃エンドなのはいいが、その理由が不明瞭なのが納得いかない



の2つです。

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・キャラクターへの愛と近親愛の倫理

1つ目に関して。
これはこの作品がライトノベルである(=1パターンのエンドしかない)以上どうしようもないことです。

ハーレム物ライトノベルでは一人でも好きなキャラクターを読者に作ってくれるように仕向けることにより、多くの読者層を取り込もうとします。

読者は好きなキャラクターが一人出来れば1冊の本を買ってくれます。
俺妹で言うならば黒猫は好きだが他のキャラクターはどうでもいい読者Aとあやせは好きだが他はどうでもいい読者Bがいればそこで2冊の本が売れることになります。
ここでAとBそれぞれが全ての登場人物を好む必要はありません。キャラの抱き合わせ販売とも言えます。

ただしこのやり方は物語にケリをつけるときに代償を払わされることになります。
特定のキャラが報われれば他の全てのキャラは報われなくなるからです。もちろん報われなかったキャラのファンはいい思いはしないでしょう。

これを避けるには誰とのエンドも選ばず誰も傷つけない有耶無耶エンドしかありませんが、昨今それは支持されにくくなっているという事情があります。

アマゾンの「このレビューが参考になった」投票をよく見ていると、この特定キャラへの思い入れから不評をつける読者が案外多くて残念ですが・・・。

またヒロイン桐乃が実の妹であるという点は悪い評価に拍車をかけているでしょう。
これは物語の展開云々というものではなく実社会における倫理的な問題です。
作品中でも桐乃によって語られていますが、エロゲーの多くの妹キャラが義妹であると設定がされるのは例えフィクションであってもプレイヤーに心理的抵抗が大きいからです。

義妹という現実的にありえなくはないが限りなく自分の属する社会には関係無いという便利な設定を逃げ道としているのが妹モノの落としどころです。”自分と無関係な現実”とでも言いましょうか。
義妹設定では「義理の妹ならまあいいか、一応妹ではないし」という、自分と距離を感じつつも可能性としてはそれを認めるという土台が読者にできています。

ライトノベルでの主人公に複数の女の子が好意を持つ所謂ハーレム設定も同じように読者が”自分と無関係な現実”として認識できているから受け入れられていると考えられます。

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・語り手たる主人公は真実を紡ぐか

私が特に興味あるのは2つ目のパターンです。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」をキャラクターへの思い入れからではなく、作品として好きな人たちの批判だと思います。

この特定キャラへの思い入れというよりは作品全体として楽しんでいるので彼らの意見には賛同できます。

私も読み進めながら京介は一体いつから妹を女として好きになったの?ということを考えました。

俺妹ではこの巻までに桐乃を恋愛対象として見ている京介の描写が思いあたりません。だから「桐乃はあくまで妹として好きだったんじゃないの?」というツッコミを入れたくなります。

しかし実際に京介は桐乃は恋愛対象として桐乃に告白をしています。

じゃあ一体どういうことだよ?今まで語り手としての京介は何を語ってきたんだ?となるのは普通のこと。
これに関しては終盤にて以下のような記述があります。

ところで物語の語り部ってのは、読者よりもちょっとだけ察しが悪いくらいが良いさじ加減なんだってよ。クソ喰らえだね。悪いけど、俺、それはもうやめたから。(12巻、p.236~237)

はっきりと語り部としての自分について言及していますね。
このスタンスを受け入れられるかが作品としての俺妹を支持できるかに直結していると考えます。

私はこれはこれでありだと思えるようになったのであまり気になりませんが、そうは思わない読者だっているでしょう。
特に俺妹は現実世界のオタク問題を取りあげ、それを部外者(=非オタク)としての観測者である京介が語ることによって、正面から向き合うという始まりだったので尚更その傾向が強いと思います。

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ここからは私個人の解釈を。あくまで想像ですよ。

「京介は本心から桐乃を好きなのではなく、世話焼き主人公として好きになっている。しかし語り手としての京介はそれを読者には伝えない。」

というのが私の結論です。

俺妹では他のラノベ主人公の例に漏れずお節介な奴です。
妹のエロゲーを自分のものだと言って庇ったり、特に親しくもない不登校児を学校に連れてこさせようとしたりとやたらと熱血漢です。

それに加えて順応力があります。
非オタクだったわりには抵抗なく妹からエロゲーをプレイしたり、黒猫らオタクコミュニティに溶け込み関係を築いていくコミュ力が備わっています。

そんな曲がったことが嫌いだが、その上で周囲の関係を上手くまとめる京介が俺妹の魅力だったと思います。

最終巻のもやもや感は京介の魅力である「周囲の関係を上手くまとめる能力」がかけてしまい、独善的な面だけが強調されていたことが原因です。

妹を恋愛対象として見るのは、いくらラノベ的世界観であってもタブーです。
それば桐乃と同じくブラコンである瀬菜が、桐乃から京介と付き合っているという事実を受けての台詞からわかります。

「(前略)どうしたら一番いいのかなんて、私にはわかりませんけれど……『おめでとう』とも言えませんけれど……応援、してますから」(12巻、p326~327)

幼き日の桐乃の思いを吹き込んだipodをシーンがありますが、京介は桐乃の思いに気が付いていたと思います。

ところがそんな桐乃の好きだった京介は11巻のエピソードを境に姿を消し、兄弟冷戦時代へと突入します。
俺妹は冷戦時代が解けカッコ良かった昔の京介を徐々に取り戻していく様を描いた話なので、その間に桐乃が京介への好意を持つのは当然の成り行きとも言えます。

「大きくなったらお兄ちゃんを結婚する」という子供なら許されるような発言も年を重ねるにつれ言いにくくなっていきます。

普通の兄妹であれば緩やかにそれを理解していきますが、桐乃は麻奈美がいきなり現実を叩き付けたこと、京介がある日を境に腑抜けた存在になったことにが原因で、身内を愛することのマズさを理解する暇を与えられずここまで来てしまいました。

京介はそのことに責任を感じ、桐乃の兄離れを自分が犠牲になること(=マズい兄妹間での恋愛を成立させる)で事態をきちんと桐乃に理解させようとします。
桐乃の気持ちに気づきながらもあえて自分から桐乃に告白し、桐乃を傷つけない方法で良い方向で導いてやったのではないかと。

それが嘘偽りでないことを自らにもきちんと認識させるために他ヒロインをガンガン振りまくります。

今の京介はスーパー京介なので、自分の気持ちを騙すことぐらいお手のものなのです。例え恋愛感情であっても。

つまるところ、お節介な主人公が不幸な事故の重なり(桐乃と麻奈美の接触、秋美の転校)によって後味の悪い結果に誘導されてしまったというのが、この物語へのもやもや感を生み出している。
これが私なりの結論でございます。

蛇にピアス

2012年1月6日 読書
第130回芥川龍之介賞受賞作。
あれからもう10年近くが経とうとしているのか。
当時は著者の年齢が話題になってて普通の報道番組でもよく見たようなきがする。

図書館で日本文学の棚眺めてたらなんとなく目に付いたので読んでみました。
100ページちょっとぐらいしかなくてすぐ読み終わる。
以下ネタバレ。

若いフリーターの女が若い顔面ピアスに刺青の男とセックスする話。
で、その男の知り合いである刺青屋の男ともすぐセックス。なんとも節操がない。

その顔面ピアス男は殺されるんだけど、犯人が刺青屋の男っぽい。以上。

とにかく過激。舌にピアスとか平気で入れちゃってるし、マンコとか伏字にすらならず普通に書いてある。
芥川賞受賞当時にこれは読まんでいいって言われたけど実際に読んでみて気持ちがわかった。

なんでこれが権威ある文学賞を受賞できたのか気になって調べてみたが、現代の若者の不安を上手く表現できているから云々っていう批評がされているようで。
こんな若者はさすがに超少数派だと思うんだがどうなんでしょ。
私は読んでて残念な気分になりました。

この日記書いてて気づいたけどこの本1260円もするのかよwなんつう高さだw
同著者の作品グラスホッパーの続編になってるけど、読んで無くても全然楽しめると思います。

グラスホッパーに同じく複数の殺し屋達の対決を書いたもの。
どの登場人物もユニークで思わず惹きつけられます。
文学好きの殺し屋や機関車トーマスの好きな殺し屋が出てくる小説はこれぐらいなものでしょう。

場所が新幹線の中という極めて限定された空間の中で行われているのにも関わらず登場人物がすれ違いを続ける様はコミカルであり、最終的に行われる殺し合いも殺伐とした雰囲気を感じさせません。

登場人物の一人であり、人心掌握術に長け世の中を意のままにしてきた中学生「王子」の憎たらしさは本当に上手く書けていて読者感情を大きく揺さぶってきます。

最後のほうで語られる「どうして人を殺してはいけないのか」という命題に対する一つの回答も実に興味深いものでした。
最初は接点を持たない殺人を生業とする人々が、最後は殺し合うことになる話。

って書くと怖そうなイメージがあるんですが、伊坂幸太郎独特の軽いタッチの言い回しがそれを感じさせません。売れる作家ってのは人をつかむ言い回しを持っていますね。

各登場人物ごとに異なった視点で書かれる物語は、主人公を一人の人間に限定していません。
おかげでどんな結末に待っているのか予測しにくく読み応えがある。

自分のすべきことを忠実にこなす「ヤバイ」人々の思想、信念だとかいったものを上手く書いていると思います。
ちょっと前にテレビで映画版が放送されてたのですが見逃してしまった(´・ω・`) 。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた青年の逃亡劇を書いた作品。
青年は彼の存在が邪魔な組織からの暗殺を逃れるために、過去の友人や恋人などの助けを借り逃げ回ります。

世間が一度それを望む雰囲気さえ作ってしまえば人一人の命など軽視されるという話で、マスコミはいつも真実を語らないということだそうです。
真実は人為的に捻じ曲げられるのでそういう勢力には監視の目を光らせておけってことなんでしょうね。あくまでフィクション作品ですが現実もこうなりかねなさそうな雰囲気が出ているのが怖い。
全体主義と個人への無関心という点で、同じく伊坂幸太郎のモダンタイムスという作品と趣旨は似ています。

伊坂幸太郎ならではの軽快なテンポのおかげもあり重厚なテーマを扱った割には読みやすい作品でした。
図書館に借りてた本返しにいったらあったので読んでみた。
伊坂幸太郎の本は人気あって借りられてることが多いから運がよかった。

微妙にネタバレ含むので読む予定のある人は以下スルー推奨。

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現実世界に潜む全体主義に注意を向けさせるような内容。
全体のために個人は犠牲になるべきだという思想が極端になると、生命すら軽視されるという恐ろしい事態を引き起こしかねないのだとか。

オサマ・ビン・ラディンが殺されてもテロ組織アルカイダは機能し続けるように、魔女がいなくなっても魔獣が出てくるように、道具や職人が失われても創造の行いは犯されないように、とあるシステムが確立されてしまった場合それが危険なものだとしてもそれに対しての根本的な対処法はない。

あれだ、ニューファイレクシアの白の派閥みたいなもん。

現状に満足すると「こういうものだから」とか「決められたことだから」という考えが出てきやすくなるから向上心は必要になってくるのかもしれないなあとか無駄に考えてしまった。

重い内容を扱ってる割には物語自体は冗談も交えた軽いタッチで書いてあって読みやすい点はよかったかな。
近頃東野圭吾がマイブーム。図書館にある彼の作品を読み倒してます。

映画化とかされてそこそこ話題になってたのは覚えたけど、これ自体はもう5年前の作品だったってことには驚いた。

内容は天才数学者が作ったアリバイ工作を、その親友の同じく天才科学者が解くっていう話。
トリック自体はミステリー好きなら簡単に気づけるようなものだけど、登場人物の心情の書き方が本当に上手い。特に結末部分は素晴らしい。

直木賞を受賞してるということもあり期待してたけど、予想以上によかった。

塩の街

2010年7月1日 読書
2004年に電撃大賞取ったときに文庫版は読んだのだが、図書館にハードカバー版があったのを偶然発見したので読んでみた。

内容は一度読んでるからわかってるんだけど、女性作家ならではの繊細な描写が印象的で新鮮だった。
6年前はこんなことあまり気にしなかったけど、時が経つと感じ方も変わるもんだなあ。

文庫版には無い後日の話も結構面白かったし、これはよいものでした。

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